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スタンフォードの自分を変える教室の感想 感想 レビュー

スタンフォードの自分を変える教室を読みました。
いわゆる自己啓発本というやつですね。
私は自己啓発本はほとんど読まないのですが、

科学的に怠惰の仕組みを、解き明かしてくれるのではという
期待を込めて見ました。

非常に面白いですね。

人間には長期的な利益と、短期的な利益があります。
そして長期的な利益を追求するためには、短期的な
利益を放棄しなければなりません。

ややこしい言い方になりましたが、ようは痩せるためには
目の前のクッキーを食べてはならない。大学受験に合格
するためには、ゲームを辞めなければならないということです。

大抵の凡人は、短期的な利益の誘惑に負けます。
クッキーを食べて、ゲームをやって、痩せることもできずに
志望校に合格できない事でしょう。

そして、なんて自分は駄目な奴なんだと自己嫌悪
するというわけです。一流大学に合格したほうが、
ゲームをするより、はるかに充実感があるでしょう。

何故目先の快楽を追い求めてしまうのか?
何故人は誘惑に負けるのか?この本は科学的に教えて
くれます。

ドーパミンという神経伝達物質があります。
このドーパミンは快楽を予感させるらしいのです。
スーパーで買いものをしている時、ドーパミンが流れます。
肥満




「やぁジェイコブ!スーパーは最高だね!あの揚げ物を
見てみろよ、美味そうだろ?ポテトチップスとコーラもいいね。
それに食後のデザートにケーキなんてあるともう最高だね」

「マイク……君はこれ以上太ると危ないって医者に
 いわれているだろう?」

「ああそうだね、じゃあサラダを作るよ、野菜は身体にいいからね。
 それで帳消しだろう?」

外人二人組が会話しています。
マイクを支配しているのはドーパミンです。
ドーパミンというのは、"快楽そのもの”ではない事に
注意が必要です。


あくまで快楽を予感させる物質なのです。
マイクはスーパーで美味しそうな、食品を目の前にして
ドーパミンが流れています。

ドーパミンというのは、人類が採取生活時代には
生きていくのに必須なものでした。いつ飢えるかどうか
分からないので、食べ物を見つけたら

すぐに食べるという選択肢が正解だったのです。
現代はどうでしょうか?飽食の時代です。
少なくとも先進国においてはそうです。

私のような極貧生活者でも太ろうと思えば、簡単に太れます。
一人前18円のうどん5人前を、毎食食べればすぐ太るでしょう。
食品を手に入れようと思えば、簡単に手に入れられる

環境にあるのに、脳みそは、採取生活時代のままなのです。
餓えで死ぬリスクを考えるより、肥満による生活習慣病で
死ぬリスクのほうが高くなっているにも関わらずです。

マイクは先進国の人間でありながら、太古の本能に
従っているから太っていくのですね。

ドーパミンが快楽を予感させるのは、食べ物
だけではありません。
勉強をしなくてはならないと思っているのに、ゲーム
をしてしまうのもドーパミンの働きです。

大学合格や、痩せてかっこいい自分になるといった
長期的な利益を脳は求めていないのです、それより
目先の高カロリー食品やゲームのほうが大事なのです。

つまり我々が、目先の快楽に負けてしまうのは
太古に生きるために必要だった本能の名残だったのですね。

著者……美人の教授さんです。

無題


お尻が小さそうな顔なので私好みではないですが
彼女も私の事など相手にしないので、イーブンでしょう。

彼女はこんな清楚な顔なのに、セック○とかそういう
事を平気でいうのでそのギャップがたまりません。

話しは逸れましたが、彼女がいうには、そうやって
ドーパミンが煽って手に入れた快楽は本当の快楽
ではないといいます。

本当の快楽ではない、偽物の快楽を追い求めて
本当に有意義な事に時間を使えず、失敗するというのです。
本当の快楽を味わえないのです。

この本を読めば、すぐに駄目な自分が劇的に
変わるというものではありません。

しかしながら

自分が誘惑に負けそうになったとき、
脳がどういう働きをしているか?

それを知るだけで自制心が働くと教えてくれます。
意志力を強くするために何をすればいいのかも
教えてくれます。

具体的には、瞑想を1日5分するだけでも、意志力を
鍛えるのに役立つそうなのです。

私は太っていませんし、大学を受験する予定もありませんが
私塾を開くという大きな夢があります。
今のところ何もしていません。
脳が私塾を開くなどという長期的な快楽を求めていないのでしょう。

意志力を鍛えて、準備していきたいですね。




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グロテスク 感想 桐野夏生

桐野夏生さんのグロテスクという小説を読みました。
最近冤罪事件として話題になった東電OL殺人事件
を題材とした小説ですが

東電OL殺人事件を知らなくてもまったく
問題はありませんね。小説としての出来が
素晴らしいです。

3人の女性の人生を当人たちの手記という形で
まとめられています。もう1人、ユリコと和恵を
殺したとされる中国人の手記が
ありますが、これはどうでもいいですね。
飛ばしても問題ありません。

3人とも娼婦になります。
グロテスクは娼婦の物語です。

類まれな美貌をもち生まれ持っての娼婦である
"ユリコ"。

妹の容貌にコンプレックスを抱いてその呪縛に
苦しめられている姉の"わたし"。

ユリコの姉の同級生であり、
世の中の全てを努力で手に入れる
事ができると信じガムシャラに戦った"和恵"。

自分を客観視でき、賢く強いユリコの手記は
さほど面白くありません。自分の身体のみで
生きてきたユリコは単純明快であり
人生を達観しています。

面白いのは“肉体地蔵”和恵の日記です。

努力教の信者であり努力教の教祖の父親の
教えを従順に守り、戦い続けた和恵の人生は壮絶です。
世の中には努力が報われる分野とそうでない
分野があります。

和恵は努力ではどうにもならない分野も努力で
克服しようと戦い続けました。最初から勝ち目が
ない戦いです。

人生の最後まで走り続け
ぼろ雑巾のようになり殺されました。
文字通り死闘です。聖戦といってもいいでしょう。

一流大学を出て一流企業に就職し年収1000万円を
貰い、それを誇っている和恵。

しかし


和恵は心の中、自分同士で論争を繰り広げます。

「あたしは仕事ができるんだもの。Q大卒でG建設
 なんだもの」

「何の意味もないわね。
 あんたは女として平均以下だわ。
 平均以下、偏差値50以下。
 誰もあたしを望まない。」

和恵の勝算のない戦いは
高校時代から描写されていました。
Q高校、慶應高校ですね。

慶應高校は階級社会であり、高校から入った外部組と
内部組で差がありました。

外部生が内部生に認められ彼女らの一員
になるためには、抜群に
頭がいいか、抜群の容姿が必要でした。
どちらもない和恵は彼女らの
仲間になるために努力をしましたが、

その努力は空回りして、誰もがその存在を嘲り笑う
存在になってしまいました。和恵の報われない努力
を友達であるユリコの姉の”私”は
冷笑して馬鹿にしています。

綺麗になるために和恵はダイエットをします。
痩せれば痩せるほど綺麗になると信じているため
拒食症になり鶏ガラのような身体になります。

昔、知り合った女性に、ガリガリの女性がいました。
彼女は病的に痩せており、それは自らの意思でした。
痩せれば痩せるほど綺麗になるという考えに
囚われた女性は餓死することによって究極の美を
手に入れたと満足して死んでいくのでしょうか。

鶏ガラの身体を和恵はスタイルがいいと自己評価
しています。しかし周りからは気持ち悪いといわれて
います。

娼婦としての価値も低くなります。
ガリガリの女性に欲情する男は少ないのです。
私もその一人です。

他人から肯定的な評価を得るために、絶え間ない
努力をした和恵。

その結果、家庭でも職場でも
売春相手にも気持ち悪いと
いわれ誰にも相手にされず、
誰からも愛されませんでした。

「お願いだから、あたしに優しい言葉をかけてください
 綺麗だっていって、可愛いって言って
 今度、二人で会いませんかって誘って

 勝ちたい、勝ちたい、勝ちたい、一番になりたい
 いい女だ、あの女と知り合ってよかったといわれたい」

誰より他人の評価を欲した和恵の心の叫びです。
人は他人から評価されたい生き物ですが、和恵は
それが人一倍強い女でした。

それでいて、自分のやり方を最後まで貫きました。
他人に気持ち悪いといわれても滑稽といわれても
自分が信じたやり方は正しいはずだと突き進み
怪物になりました。肉体地蔵です。

和恵は純粋であり、世の中に自分を合わせるという
誰もがやっている事をできませんでした。
風車に突撃するドンキホーテは最後に
正気を取り戻しましたが

和恵も最後に自分が弱い人間だったと自覚します。
和恵の手記、肉体地蔵だけでも本書を読む価値があります。


主人公である"私"の手記もそれなりに面白いです。
彼女は生来の嘘つきです。その嘘は自分を
守るための鎧です。

幼稚な人格であり、性根が
ねじ曲がっており、美貌の妹がうらやましくて
しょうがないという実に良いキャラクターです。

美貌の妹がいて常に比較されてしまうという過酷な
環境が彼女をより捻じ曲げました。

私がこの小説を読もうとした理由の一つに、美貌の姉妹
がいる人間の心の動きをフィクションでもいいので
読みたかったからです。

私の姉は幼い頃に従妹と容姿を比較されそれがトラウマに
なっています。そのトラウマは娘達に対しての態度にも
影響を与えています。私にとっても無関係ではありません。

その私の期待に”私”は充分に答えてくれました。

妹であるユリコに対し
嫉妬、羨望、軽蔑、憤怒、称賛
と多種多少の感情が入り混じっています。

ユリコの姉である”私”は地味な女であり
誰からも名前で呼ばれることはありません。
”私”は手記の中で和恵のことを事細かに

書いていますが、和恵の手記には
そっけない記述があるのみです。
妹のユリコの記述のほうが多いくらいです。

慶應高校の教師にも地味な女性で名前も
覚えていないと書かれています。

少年漫画などで”私”が与えられる役割はヒロインの
引き立て役程度でしょう。読者は誰も彼女の内面など
気にもしません。

しかし本書の半分は"私”の内面を事細かに描いています。
それが実に小気味いいのです。

そんな彼女の虚飾をもう一人の登場人物
女性ミツルが全て暴きます。

ミツルは東京大学医学部卒業の医者であり、新興宗教
にはまりテロ事件をおこして刑務所に入ります。
オウム真理教ですね、そのまんまです。

すでにマインドコントロールを解かれた彼女が
”私”の鎧をはぎ取ります。


”私”はハーフを自慢していたが
周りからは不細工のくせにと馬鹿にされていた。

”私”は慶應高校の階級社会を冷めた目で見ていると手記に
 書いていたが、誰より慶応高校を卒業した事を誇っていた。

”私”は和恵の努力を嘲笑っていたが、慶應高校入学当時は
 和恵と同じように内部生に溶け込もうと努力をしていた。

"私”の手記は虚飾にまみれていました。
ありのままに書くのは辛すぎたのでしょう。
それは裸で極寒を過ごすのとなんら変わりありません。

”私”は自分の容姿をそれなりに評価していますが
周りからの評価は総じて厳しいものです。
これは和恵とまったく同じです。

本書は”私”が見知らぬ男を
ホテルに誘う場面で終わります。

美貌の妹に嫉妬し、恋い焦がれ、
自分も妹のようになりたい
と願った”私”は妹と同じ売春婦になります

暗にユリコと和恵と同じ末路を
辿ると示唆しています。

本書は売春婦の物語です。あっと驚く結末も
起伏に富んだお話もありません。淡々と3人の
女性の告白にも似た手記を読んでいくだけです。

しかし最高の小説です。何度でも読みたいですね。


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新世界より 感想  貴志祐介


貴志祐介さんの新世界よりを見ました。
ハリーポッターをリアルにするとこういう世界になる
んでしょう。設定としては近未来の話です。
登場人物は全員超能力を使えます。

主人公とその仲間たちは冒険をして
この世界の成り立ちを少しづつ読者に
教えてくれる構成になっています。

主人公たちが暮らす社会は
バケネズミという知性があるネズミを使役しており
極めて厳格な管理社会です。

同性愛が推奨されており、登場人物たちは同性同士
で恋愛関係になります。同性愛を推奨するのはこの
管理社会の平和を保つのに必要であり、ボノボの社会を
参考にしています。

この小説はラストで世界観が180度変わります。
文庫本にして3冊と長く、途中中だるみしますが
下巻のスピード感とラストに明かされる事実は
圧巻です。貴志佑介さんの作品で
最高傑作といえます。






ネタバレ感想

この感想はばけ鼠のことばかりですが、その理由は
私が主人公達の行動の記憶がほとんどないからです。
男同士でねんごろになったり、いろいろあることは
あるんですがほとんど忘れました。

なんといってもラストですね。ばけねずみが実は超能力が
使えない人類の末裔だったという衝撃のラストです。
いうまでもなく我々人類は超能力など使えません。
読者は超能力者ではなくばけねずみに属していた
ということになります。

ばけねずみは自由と独立を求め
超能力者に戦争を挑みました。
しかし後わずかの所で敗北し

首謀者のスクィーラは超能力者に盾就いた罰として
永遠に苦しみ悶える無間地獄という
身の毛がよだつ処刑がされます。

これは化け鼠の敗北であると同時に我々の敗北であり
バッドエンディングということになります。

我々超能力が使えない人類は超能力を使う人類に姿を
醜い化け鼠に変えられたあげく長年奴隷として
酷使されていたのです。

そしてそれが
分かるのはラストです。小説の最後で世界観が
ガラリと変わります。この世界観の崩壊は
まるで猿の惑星のようです。

この物語は醜い化け鼠の反乱を治めてめでたしめでたし
という気分にはさせてくれず、むしろ我々側の立場は
化け鼠であってラスボスが主人公ということになります。

ラスボス視点で物語を読んでいくという
一風変わった構成なのです。ラスボスに挑んだ勇者は
破れその顛末を手記にしたのがこの小説です。

敵側だと思って読んでいたバケ鼠が実は自分たち読者を
代表していたという構成はさすがです。

ばけねずみの主要登場人物は2人です。
抜群の知能を持ち、ばけ鼠の社会を専制君主制から
民主主義に移行させ、超能力者達に面従腹背しながら
謀反を主導したスクィーラ。

優秀な将軍、優秀な戦士であり、保守的な価値観を持つ
がゆえにスクィーラと対立する奇狼丸。

この二人のばけねずみは魅力的に描かれており、
主人公たちの未熟さと比べると2人の頭の良さや
人格、志の高さが際だつます。

スクィーラは圧倒的な戦力を持つ超能力者と戦うには
どうすればいいか知恵を絞り、遠大な計画を練った
うえで実行に移し、もう少しの所まで
主人公を追い詰めます。

奇狼丸はスクィーラほど広い視点で物を考える事は
できませんでしたが、優秀な武人であり、
駄々をこねる主人公達を冷静に嗜める事ができる
人格者です。

両者は共に優れていますが、スクィーラが人間としての
価値観を取り戻したのに比べ奇狼丸はあくまで
ばけ鼠の価値観を重んじたがゆえに両者は対立しました。

奇狼丸が属するコロニーは生き残り
スクィーラのコロニーは全滅したので結果として
奇狼丸の選択が正しかったということでしょう。

スクィーラがいうように、勝たなければ意味がない
勝てば全ての犠牲が報われる。スクィーラに罪がある
としたら超能力者達を殺した事ではなく、戦争に
負けた……ばけ鼠を勝利に導くことができなかった
ことでしょうか。


主人公は古代人の闘争の歴史を知ってなぜこんなに
野蛮な事ができるのだろうと見下していましたが、
自分たちが知性ある存在の
ばけ鼠を些細の事で殺す事には何の痛痒も
感じていませんでした。

主人公は思い人が同性愛に耽っている所を目撃して
嫉妬しますが、自分は女同士でよろしくやっているのです。
極めて自己本位の考え方をする人間です。

名作ミノタウロスの皿は相手の立場にたって物を
考える事を訴える主人公自身が、実は極めて自分本位
の人間であることを痛烈に皮肉った作品ですが
新世界よりの主人公にも同じことがいえます。


主人公は処刑を待つスクィーラに問います

「何故おまえはあんなに無慈悲に罪のない人間を
 殺したの?」
「あなたが殺した人達にたいして心の底から謝罪して」


スクィーラは答えます

「あなた方がなんの良心の呵責もなく
 虫けらのように殺した同胞に謝罪するならば、
 私もあなた達に謝罪します」

殺された数でいうならば主人公の陣営の人間の数は
ばけ鼠の数に遠く及びません。
スクィーラの返答はばけ鼠と人間は本来対等で
あるという強い信念に支えられた返答であると
いえます。

2度目にこの小説を読む時にはスクィーラ目線で
読むと一粒で二度美味しいですね。

ばけ鼠の反乱を鎮めた超能力者達ですが
社会のバランスが大きく揺らいでいる事を
主人公は示唆します

たった一人の異分子=悪鬼が出ただけで危機的
な状況に陥ってしまう極めて危うい社会であり、
子供を処分することで成り立ってる歪な社会です。

スクィーラの乱により悪鬼が発生する確率が
高まっておりスクィーラは敗北しましたが、
超能力者の社会も遠からず自己崩壊するでしょう。

主人公は1000年後に初めて公開されるように
手記を書きましたが、1000年後にその手記を見るのは
ばけねずみの末裔かもしれません。

制御できない力を持ってしまった人類の
哀れな末路を描いた作品ともいえますね。


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山谷崖っぷち日記 感想 レビュー

山谷崖っぷち日記を読み終えました。
筆者は日雇い労働者が集う山谷で長年働いています。
簡易宿泊所に住んでおり、その描写といったら匂いや
音までこちらが詳細にイメージできるほどで、興味深く
読むことができました。またその考えが私と似ている
部分が多く、共感しながら読みました。


私がつねに自らの職業生活の門口において、このような
過剰な適応意欲をかきたててしまざわるを得ない事に
ついては、他人と立ち交じってふるまわなければならぬ
集団生活に対する、私の根深い恐怖感が関与していたのは
確実だった。集団生活に対する深刻な忌避感と恐怖感から
逃れるべく、私はまず、何はともあれ、職業生活の発端に
おいて、過剰なまでの適応意欲を自らかきたててしまう
のだ。しかし、無理が続くわけがない。事実、いくばくも
経ずして、この過剰な適応への意欲が続かなくなって
しまうこととなる。心身症とも言うべき身体の変調に
見舞われるとともに、急速かつ徹底的に出社への意欲が
失われてゆく。 中略

「つまるところ、私は人生に向いていない人間なのだ」 

P12-13



今でいう鬱病でしょうか。筆者も軽度の鬱病というのが
最も適切であると自己分析しています。
インテリであり読書人の筆者がいわゆる普通の会社勤
めを諦め、山谷に流れてきた理由です。集団生活と
いうのはある種の人間にとって非常にストレスが溜
まるものであり、誰しも多少はあるものですが、それが
耐えがたい量に膨らみ処理できなくなると脳
がギブアップをすると私は勝手に解釈しています。
集団生活の適応力と知性は別物だということです。

そして前者のほうが人生にとってより重要である
のかもしれません。一人でできることなんて
たかが知れてますから。
異分子は取り除かれるということです。




「あなたのような正義感にあふれた人に権力を持たせる
ぐらい恐ろしいことはないんですよ。私はゼネコンや
大蔵省や高級官僚から災難を被った覚えはないけれど、
あなたのように自分の正しさをつゆほども疑わない人が
権力を握ればどういうことになるか、想像するだに寒気が
しますよ。あなたは歴史を読んだことがないのですか。
世の中は適当に小さな悪が蔓延しているぐらいがちょうど
いいんですよ」

「小さいですよ、あんなもの。大きな悪はあなたのように
正義感にあふれた人達が惹き起こすんですよ。いいことを
したくてたまらないという人たちが、本当の悪を作りだす
んですよ。(私はここで「一人救世軍」をひそかに揶揄
しているわけである)毛沢東やポルポトがどれぐらい
悪い事をしたか知らないんですか?」




労務者仲間との政治談議で、大蔵省や官僚の不正を憎む
相手に対し、筆者は反論します。毛沢東は大躍進政策で
数千万人の餓死者を出しその地位が脅かされました。
そして尻拭いをした劉少奇や鄧小平から権力を奪取する
ために文化大革命を起こし結果中国全土に無知と暴力が
跳梁跋扈しました。

毛沢東の思想の影響を受けた
ポルポトは知識人を憎み、数百万人もの人間を
虐殺しました。彼は私利私欲が少なく、清廉潔白
な人間であったという評価があります。

昔、大蔵官僚のノーパンシャブシャブなどが話題になり
ましたが、直接的な実害があるわけでもなく、権力という
のはある意味でその程度の有能な小人が握っているくらい
がちょうどよく、正義感が強すぎる人間が権力を
握ると大きな人災を巻き起こすという事でしょう。
綺麗すぎる水で、魚は生きてゆけないということです。








会社や社会で生きられない私が、監禁されずに生きられる
方策はないだろうか。ある時期から、この想いはつねに
私の脳裡に定着していた。

釜ヶ崎や山谷というような社会的居場所ばなければ
私はどうなっていただろうとゾッとする。

中略

他人と継続的な人間関係をもていないということは、
継続的な職業生活を営めないということであり、
社会主義国でならまず間違いなく精神病院送り
だったであろう。日本が社会主義国にならなかった
ことが、まず、私の人生の幸運の一つである。

二つ目の幸運は、高度成長期以後の日本社会で
生きられたということだろう。戦前は言うに及ばず
高度成長期以前の日本社会においては、私のような
虚弱体質の者が建設作業員として通用するわけが
ないだろう。建設作業員として生活費が稼げないと
なれば、通常の継続的な人間関係をつくれない私に
収入の途はなかったわけで、その場合には家族に
扶養される準禁治産者といったところが、私の
生活内容になっていたに違いない。この時の生活
場所が、家庭内半監禁であろうと、施設での監禁
であろうと、これも私にはとても耐えがたいものの
ように感じられたのである。

中略

つまりは先進資本主義国で生きられたということが、
私の根本的な幸運であった。戦後の日本社会の豊か
のおこぼれにあずけり得たということ以上に、私の
人生にとっての幸運はなかった。「一人救世軍」斎藤
さんの抱くような正義感が、私には不可解でならない。
斎藤さんはつまり、世の中にプラス100が存在していない
ことに怒っているのだと思うのだが、何と傲慢な人
だろうと感じずにはいられない。私には、世の中がマイナス
10ぐらいにとどまっていてくれれば、まずまず結構なこと
ではないかと思える。戦後の日本社会は+5か+10くらい
までは行ったのではないかと感じられるが、率直に言って
これ以上を望む人の気持ちが知れない。何か勘違いしている
んじゃないかとさえ感じる。 P170-171



例えば中世の農村などで生きる場合、何より集団
生活の適応性が大事だと思うんですよ。私のように
集団生活は嫌だ、1日中怠けていたいなどと発言したら
村八分になり自分一人の生活すら維持することが
できなくなります。

筆者は普通の社会で生きてゆけない自分が、一人で
生活してゆくことができた事について、日本の政治
制度と時代の恩恵を受けたと分析しています。

私も最近になって思うのですが、子供を持たず、
ろくに働きもしない私のような中年男が、曲がりなりにも
一人で生計を維持できている。また大きな差別に合うこと
もなく精神的に健やかな毎日を送る事が出来ている。
これは幸運以外の何物でもない。

筆者がいうように日本の豊かさの恩恵を受けている
といってもよい。人生に絶望した人間が戦争でも起きないか
と願う漫画を見た事がありますが、まず悲惨ですよ。

それは一般的な戦争の悲劇とはまた別の意味です。
私のような集団生活に適応できない怠惰人なんて
物資が足りない、皆が協力しないと明日をも生きてゆけない
環境下においては虫けらのように扱われるのは目に見えてます。

平和であり豊かであるこそ、一人でのほほんと生きて
いられる。電気や水やガスやネットなどのインフラ
を享受することができる。

孤男こそが豊かさの恩恵を最も受けている
というのは言い過ぎでしょうか。

私もこのブログで政府やらに文句をいうことは
ありますが、そこそこ程度には満足していますよ。
太古の時代王朝というのは、人民を守るというより
むしろ搾取する存在でした。それに比べたらだいぶ
ましなんじゃないでしょうか。総理にしねなんていっても
逮捕されない自由がありますからね。時代や国が違えば
処刑されてしまうでしょう。

ありもしない理想郷を前提にして、不満を感じるより
古今東西あらゆる歴史を学び、相対的に今の自分の
国の環境はどうであるのか?そういう視点から物を
考えると私はそれなりにいいんじゃないかと思います。
筆者と考えがとても似ています。足るを知るという事です。


斎藤さんのような人が、人生のどのようなシーンに対して
憤怒を発するかは分かっている。例えばこんな光景が
考えられる。大都市の路上でホームレスがゴミ箱を漁って
いる傍らを、立地なエグゼクティヴが運転手付きの
高級車で通り過ぎてゆく。斎藤さんはこのような光景を
見れば、額の血管をみるみる筋ばらせていくようにして
正義感を膨張させていくのであった。私ならむしろ、
高級車のエグゼクティヴが担っているであろう責任の
大きさに想いをはせ、あんな立場にはなりたくないと感じる
だろう。ゴミ箱を漁るような生活が、人々からの視線の
問題さえクリアできればどんなに気楽なものかが
想像されるから、これがそれほどにも悲惨の極みとしては
私には感じられない。何よりもこのような貧富の格差が
露骨に誰の目にも入ってくるような社会は(ゴミ箱を
漁る人々が収容所に送られたりはしない社会は)、価値の
多様性が容認されている社会でもあるはずである。何を
(究極の)不幸と感じるかは、その人の価値観によって
異なる。ある種の不幸のみは万人にとっての絶対的な不幸
だという決めつけは、やや単純であり、稚ない
(ただしある種の病苦に関してのみは、このような
私の判断も留保せざるを得ぬかもしれぬという気持ちはある。

P173



他人の目を気にしない事が大事とよく見ます。
これはいかに他人の目を気にして皆が生きているかの
証左でもあります。そしてその問題さえクリアできたの
なら、長年の肩の凝りがとれたかのように、人生を軽やかに
生きて行けるのでしょう。極めて難しい事なので
人生の課題といえます。

相手の立場になって物を考えるということもよく
いわれます。

確かに
金持ちのお偉いさん達はその場面だけ切り取れば優雅に
生きているように見えますが、組織を束ねる責任者など
気苦労も当然あるんでしょう。そう考えると、その
煌びやかな生活に憧れがあろうと、それらをひっくるめて
彼らにとって代わりたいかというと私もいや無理です
勘弁してくださいというかもしれません。

例えていうなら
アスリートの年収はすごいですが、私がヤンキースの
田中投手になれたとして、試合では当たり前のように
捕手に球が届かず、観客からは罵声を浴びせられて、
いつしかノイローゼになるかもしれません。
それなら今の生活のほうがずっとましです。
人には器というものがあり、私の器は小さなものなのです。




私の人生の判定基準はおそらく客観的には、きわめて低いの
で、精神病院にも送られず、家族の扶養される準禁治産者に
もならず、成人してからの人生において自分の身体一つの
処分に心を費やせばいいという生活を送ることができた
ということだけで、まぁまぁ少なくとも最悪の人生では
なかった、と思う事が出来る。これ以上の、あるいはこれ
以外の人生を生きられたはずだという実感が存在していない
から、客観的には十分に悲惨だった自分の人生と、私は
かなり容易に折り合いをつけることができるのであった。



最も共感したのはこの文章です。一流のアスリート
であったり、一流の企業人であったり、そういう人間に
憧れることはあります。しかしながら私の能力では、
どんな道を選ぼうが、彼らにはなり得なかった。
だからといって彼らになりうる能力を持って生まれたかった
というと、そこは複雑でそういう能力を持って生まれた
その時点で私ではなくなる。
少なくとも今の自分として認識している私ではなくなる。

自分が選べた道のなかで、正解に近い道を歩いている
のではないか、そういう実感があるだけで自分と折り合い
をつけることができる。

私も客観的には十分悲惨な人生ですから
筆者の心境はよく分かります。

優れた人間との出会いによって自分を知るという事は
ありますが、自分に合った本を読むことで自分を知る
ということもあるのでしょう。自分というのはこういう
人間であったかと、そう思わせてくれた本書に感謝します。


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Author:チャーチル
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