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山谷崖っぷち日記 感想 レビュー

山谷崖っぷち日記を読み終えました。
筆者は日雇い労働者が集う山谷で長年働いています。
簡易宿泊所に住んでおり、その描写といったら匂いや
音までこちらが詳細にイメージできるほどで、興味深く
読むことができました。またその考えが私と似ている
部分が多く、共感しながら読みました。


私がつねに自らの職業生活の門口において、このような
過剰な適応意欲をかきたててしまざわるを得ない事に
ついては、他人と立ち交じってふるまわなければならぬ
集団生活に対する、私の根深い恐怖感が関与していたのは
確実だった。集団生活に対する深刻な忌避感と恐怖感から
逃れるべく、私はまず、何はともあれ、職業生活の発端に
おいて、過剰なまでの適応意欲を自らかきたててしまう
のだ。しかし、無理が続くわけがない。事実、いくばくも
経ずして、この過剰な適応への意欲が続かなくなって
しまうこととなる。心身症とも言うべき身体の変調に
見舞われるとともに、急速かつ徹底的に出社への意欲が
失われてゆく。 中略

「つまるところ、私は人生に向いていない人間なのだ」 

P12-13



今でいう鬱病でしょうか。筆者も軽度の鬱病というのが
最も適切であると自己分析しています。
インテリであり読書人の筆者がいわゆる普通の会社勤
めを諦め、山谷に流れてきた理由です。集団生活と
いうのはある種の人間にとって非常にストレスが溜
まるものであり、誰しも多少はあるものですが、それが
耐えがたい量に膨らみ処理できなくなると脳
がギブアップをすると私は勝手に解釈しています。
集団生活の適応力と知性は別物だということです。

そして前者のほうが人生にとってより重要である
のかもしれません。一人でできることなんて
たかが知れてますから。
異分子は取り除かれるということです。




「あなたのような正義感にあふれた人に権力を持たせる
ぐらい恐ろしいことはないんですよ。私はゼネコンや
大蔵省や高級官僚から災難を被った覚えはないけれど、
あなたのように自分の正しさをつゆほども疑わない人が
権力を握ればどういうことになるか、想像するだに寒気が
しますよ。あなたは歴史を読んだことがないのですか。
世の中は適当に小さな悪が蔓延しているぐらいがちょうど
いいんですよ」

「小さいですよ、あんなもの。大きな悪はあなたのように
正義感にあふれた人達が惹き起こすんですよ。いいことを
したくてたまらないという人たちが、本当の悪を作りだす
んですよ。(私はここで「一人救世軍」をひそかに揶揄
しているわけである)毛沢東やポルポトがどれぐらい
悪い事をしたか知らないんですか?」




労務者仲間との政治談議で、大蔵省や官僚の不正を憎む
相手に対し、筆者は反論します。毛沢東は大躍進政策で
数千万人の餓死者を出しその地位が脅かされました。
そして尻拭いをした劉少奇や鄧小平から権力を奪取する
ために文化大革命を起こし結果中国全土に無知と暴力が
跳梁跋扈しました。

毛沢東の思想の影響を受けた
ポルポトは知識人を憎み、数百万人もの人間を
虐殺しました。彼は私利私欲が少なく、清廉潔白
な人間であったという評価があります。

昔、大蔵官僚のノーパンシャブシャブなどが話題になり
ましたが、直接的な実害があるわけでもなく、権力という
のはある意味でその程度の有能な小人が握っているくらい
がちょうどよく、正義感が強すぎる人間が権力を
握ると大きな人災を巻き起こすという事でしょう。
綺麗すぎる水で、魚は生きてゆけないということです。








会社や社会で生きられない私が、監禁されずに生きられる
方策はないだろうか。ある時期から、この想いはつねに
私の脳裡に定着していた。

釜ヶ崎や山谷というような社会的居場所ばなければ
私はどうなっていただろうとゾッとする。

中略

他人と継続的な人間関係をもていないということは、
継続的な職業生活を営めないということであり、
社会主義国でならまず間違いなく精神病院送り
だったであろう。日本が社会主義国にならなかった
ことが、まず、私の人生の幸運の一つである。

二つ目の幸運は、高度成長期以後の日本社会で
生きられたということだろう。戦前は言うに及ばず
高度成長期以前の日本社会においては、私のような
虚弱体質の者が建設作業員として通用するわけが
ないだろう。建設作業員として生活費が稼げないと
なれば、通常の継続的な人間関係をつくれない私に
収入の途はなかったわけで、その場合には家族に
扶養される準禁治産者といったところが、私の
生活内容になっていたに違いない。この時の生活
場所が、家庭内半監禁であろうと、施設での監禁
であろうと、これも私にはとても耐えがたいものの
ように感じられたのである。

中略

つまりは先進資本主義国で生きられたということが、
私の根本的な幸運であった。戦後の日本社会の豊か
のおこぼれにあずけり得たということ以上に、私の
人生にとっての幸運はなかった。「一人救世軍」斎藤
さんの抱くような正義感が、私には不可解でならない。
斎藤さんはつまり、世の中にプラス100が存在していない
ことに怒っているのだと思うのだが、何と傲慢な人
だろうと感じずにはいられない。私には、世の中がマイナス
10ぐらいにとどまっていてくれれば、まずまず結構なこと
ではないかと思える。戦後の日本社会は+5か+10くらい
までは行ったのではないかと感じられるが、率直に言って
これ以上を望む人の気持ちが知れない。何か勘違いしている
んじゃないかとさえ感じる。 P170-171



例えば中世の農村などで生きる場合、何より集団
生活の適応性が大事だと思うんですよ。私のように
集団生活は嫌だ、1日中怠けていたいなどと発言したら
村八分になり自分一人の生活すら維持することが
できなくなります。

筆者は普通の社会で生きてゆけない自分が、一人で
生活してゆくことができた事について、日本の政治
制度と時代の恩恵を受けたと分析しています。

私も最近になって思うのですが、子供を持たず、
ろくに働きもしない私のような中年男が、曲がりなりにも
一人で生計を維持できている。また大きな差別に合うこと
もなく精神的に健やかな毎日を送る事が出来ている。
これは幸運以外の何物でもない。

筆者がいうように日本の豊かさの恩恵を受けている
といってもよい。人生に絶望した人間が戦争でも起きないか
と願う漫画を見た事がありますが、まず悲惨ですよ。

それは一般的な戦争の悲劇とはまた別の意味です。
私のような集団生活に適応できない怠惰人なんて
物資が足りない、皆が協力しないと明日をも生きてゆけない
環境下においては虫けらのように扱われるのは目に見えてます。

平和であり豊かであるこそ、一人でのほほんと生きて
いられる。電気や水やガスやネットなどのインフラ
を享受することができる。

孤男こそが豊かさの恩恵を最も受けている
というのは言い過ぎでしょうか。

私もこのブログで政府やらに文句をいうことは
ありますが、そこそこ程度には満足していますよ。
太古の時代王朝というのは、人民を守るというより
むしろ搾取する存在でした。それに比べたらだいぶ
ましなんじゃないでしょうか。総理にしねなんていっても
逮捕されない自由がありますからね。時代や国が違えば
処刑されてしまうでしょう。

ありもしない理想郷を前提にして、不満を感じるより
古今東西あらゆる歴史を学び、相対的に今の自分の
国の環境はどうであるのか?そういう視点から物を
考えると私はそれなりにいいんじゃないかと思います。
筆者と考えがとても似ています。足るを知るという事です。


斎藤さんのような人が、人生のどのようなシーンに対して
憤怒を発するかは分かっている。例えばこんな光景が
考えられる。大都市の路上でホームレスがゴミ箱を漁って
いる傍らを、立地なエグゼクティヴが運転手付きの
高級車で通り過ぎてゆく。斎藤さんはこのような光景を
見れば、額の血管をみるみる筋ばらせていくようにして
正義感を膨張させていくのであった。私ならむしろ、
高級車のエグゼクティヴが担っているであろう責任の
大きさに想いをはせ、あんな立場にはなりたくないと感じる
だろう。ゴミ箱を漁るような生活が、人々からの視線の
問題さえクリアできればどんなに気楽なものかが
想像されるから、これがそれほどにも悲惨の極みとしては
私には感じられない。何よりもこのような貧富の格差が
露骨に誰の目にも入ってくるような社会は(ゴミ箱を
漁る人々が収容所に送られたりはしない社会は)、価値の
多様性が容認されている社会でもあるはずである。何を
(究極の)不幸と感じるかは、その人の価値観によって
異なる。ある種の不幸のみは万人にとっての絶対的な不幸
だという決めつけは、やや単純であり、稚ない
(ただしある種の病苦に関してのみは、このような
私の判断も留保せざるを得ぬかもしれぬという気持ちはある。

P173



他人の目を気にしない事が大事とよく見ます。
これはいかに他人の目を気にして皆が生きているかの
証左でもあります。そしてその問題さえクリアできたの
なら、長年の肩の凝りがとれたかのように、人生を軽やかに
生きて行けるのでしょう。極めて難しい事なので
人生の課題といえます。

相手の立場になって物を考えるということもよく
いわれます。

確かに
金持ちのお偉いさん達はその場面だけ切り取れば優雅に
生きているように見えますが、組織を束ねる責任者など
気苦労も当然あるんでしょう。そう考えると、その
煌びやかな生活に憧れがあろうと、それらをひっくるめて
彼らにとって代わりたいかというと私もいや無理です
勘弁してくださいというかもしれません。

例えていうなら
アスリートの年収はすごいですが、私がヤンキースの
田中投手になれたとして、試合では当たり前のように
捕手に球が届かず、観客からは罵声を浴びせられて、
いつしかノイローゼになるかもしれません。
それなら今の生活のほうがずっとましです。
人には器というものがあり、私の器は小さなものなのです。




私の人生の判定基準はおそらく客観的には、きわめて低いの
で、精神病院にも送られず、家族の扶養される準禁治産者に
もならず、成人してからの人生において自分の身体一つの
処分に心を費やせばいいという生活を送ることができた
ということだけで、まぁまぁ少なくとも最悪の人生では
なかった、と思う事が出来る。これ以上の、あるいはこれ
以外の人生を生きられたはずだという実感が存在していない
から、客観的には十分に悲惨だった自分の人生と、私は
かなり容易に折り合いをつけることができるのであった。



最も共感したのはこの文章です。一流のアスリート
であったり、一流の企業人であったり、そういう人間に
憧れることはあります。しかしながら私の能力では、
どんな道を選ぼうが、彼らにはなり得なかった。
だからといって彼らになりうる能力を持って生まれたかった
というと、そこは複雑でそういう能力を持って生まれた
その時点で私ではなくなる。
少なくとも今の自分として認識している私ではなくなる。

自分が選べた道のなかで、正解に近い道を歩いている
のではないか、そういう実感があるだけで自分と折り合い
をつけることができる。

私も客観的には十分悲惨な人生ですから
筆者の心境はよく分かります。

優れた人間との出会いによって自分を知るという事は
ありますが、自分に合った本を読むことで自分を知る
ということもあるのでしょう。自分というのはこういう
人間であったかと、そう思わせてくれた本書に感謝します。
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