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海外で臓器移植をするために数億円のお金を募ることへの賛否

どうも私です。海外へ臓器移植手術をするために数億円のお金を募ることはどうなのかという複数のコラムを見ていました。

私は募金なんていうものは、したい人間がすればいいのであって、しない人間が横からごちゃごちゃいうことではないと思っていたので、深く考えたことはありませんでした。

我が子を救いたいという親の気持ちは例えエゴであったとしても、自然な感情でしょう。そして募金というものは手軽に善い事をしたという自己満足感を与えてくれるものであっていわゆるwin winの関係です。

しかしながら構図といたしましては、臓器を「買う」のではなく、「順番抜かし」のようですね。

即ち海外の子供が脳死で亡くなり、同国の臓器を必要としている子供を差し置いて手術する。

ネットでまことしやかに囁かれている説は、詳しく調べたらデマだったなんてことも珍しくないですが、複数のサイトを見回った所、やはりこれは順番抜かしであるといわざるをえないようです。

そうであるとするならば、見える景色が変わってきます。お金にものを言わせて他国の子供の治療を受ける権利を獲るということです。となると募金するということはそんなえげつない行為に加担しているということになる。救われる命は一つなのですから。

金持ちの老人が臓器を確保するために、犯罪行為に手を出し、それを正義の主人公が糾弾するなんてドラマは5本の指で足りないくらいあります。外観はだいぶ違うように見えますが、中身を精査すれば「本質的」にたいして変わりないことをやっていることになります。違法か適法かでずいぶん違うように思われるでしょうが、生命倫理を語る場合法律論よりもさらに次元が上の話になるからです。

ありきたりの言葉でいえば募金は自覚なく善い事をしていると思っているのでより性質が悪いことになるのでしょうか。親の立場としては助かる可能性が残っているのならば、それに縋るのは当然といえるかもしれません。

一面識もない他人の子供の命など我が子が助かるのならば一顧だにしないでしょう。しかしながら大多数の人間にとってはどちらも一面識もない子供だという事実。もし募金をすれば子供が助かるというのではなく、募金すれば手術をする順番が早くなるとお金を募れば、大幅に金額が減るかもしれませんね。

他国の子供の命など同国人の子供の命に比べれば軽いと考えるのも一つの考え方です。私としてはやはりエゲツナイ行為ではないかと思わざるを得ないので、海外移植の募金には否定的になりました。

ですから日本国内での臓器移植が増えるような環境になればいいと思います。人間は死ねば身体なんて厄介なものはいらないのです。火葬が死体の処理として一般的になっているのですから、焼くくらいならば死後他人に臓器を渡したほうが有意義でしょう。

話を戻しますが、数億円あれば子供を助かるといわれた親がその後どういう決断をしようが、誰もどうこういうことはできないとは思います。しかしながら募金をするとき、どういった背景があるのか考えてみるのも必要な事ではないかと思うのです。
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