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相対的貧困に対する無理解や偏見は強いのか?


相対的貧困に対する無理解や偏見も強い。「スマートフォンを持っている」「外食している」「アイドルのコンサートに行った」とあげつらって「あれで貧困といえるのか」というのだ。しかし、いま高校生にとってスマホは友達とのコミュニケーションツールとして必需品で、ファミリーレストランでのおしゃべりも人間関係をつくっていく上で大切な時間だろう。そんなときにも、いまの暮らしと将来に大きな不安を抱える子供が6人に1人もいる現状に、政府も世間も関心が高いようには見えない。
http://www.asahi.com/and_M/interest/SDI2016121346261.html



これは一見正論のように思えますが無理筋なんですね。実に巧妙な書き方です。スマートフォンについてはそれでいいとしましょう。外食=友達との人間関係を作ると限定しているのもあざといですが、大切な時間という言い方が巧妙なんです。スマートフォンは必需品といっていますが、明らかに表現が落ちています。

そしてなによりアイドルのコンサートにいったことについてはまったくフォローしていないんですね。物事というのは複合的に見なければいきません。スマートフォン持っているからといって貧困ではない→〇 一回外食したからといって貧困ではない→〇 一度アイドルのおっかけをしたところで貧困ではない→〇としましょう。

しかしながらそのすべてを満たした人間が貧困かというと明確に違うんです。そこは指摘されてもしょうがない所です。私が思うにそういう人間を貧困だといって助けなければいけないと無理やりいったところで一般人はついてこないと思うんですよ。

意識が高い人権屋などはねもちろん声高に叫ぶでしょう。しかしながら彼らは商売でやっているという面もあります。弱者に優しい自分をアピールすることによって収入を得ます。その収入は明らかに平均年収を超えているわけです。その構図はどこか白々しくうさんくさい。

はっきり言えば彼らは弱者が消えると困るわけです。傭兵は戦争がなくなれば失業するように、彼らは弱者が消えれば自分達も豊かな生活が送れなくなるわけです。

ホセムヒカは自らの収入の9割を寄付していました。フィデルカストロは独裁者でありながら私生活は極めて質素でした。彼らのような本物を見てから振り返り日本の人権屋をみるとどうも胡散臭い匂いしかしない。そう思います。
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